気持ちのよい暮らしが、究極の練習である

「練習は嘘をつかない」とは、よく言われる言葉です。
一般的には、練習してきたことだけが本番で通用する、という意味で使われることが多いです。
でも、研究授業といった特別な授業、いや、いつもの普通の授業、いや、授業でもなく普通に子ども達と接する機会があります。

例えば、「おはよう」という朝の挨拶の場面。
例えば、プリントを配る場面。
例えば、掃除の場面。

こういった場面においても、気持ちのよい親切なあたたかい対応をしたいですね。
しかし、こういった場面の応対が本番なら、練習はいつなのでしょうか?
今、読んでいる本にヒントがありました。
(「科学的に元気になる方法集めました」文藝社 堀田秀吾)
以下、引用です。

「練習は本番のように、本番は練習のように」
これは、アスリートやアーティストなど、「一発勝負」にかける様々なプロフェッショナルに聞いたとき、みなさん口を揃えておっしゃることです。
本番を練習のように行うため、決まった動作(=ルーティン)を行い、本番を迎えています。
これは科学的に見たときも実に理にかなったやり方で、脳はくり返し同じ行為をさせることにより、その行為を行うための神経のつながり、回路が強化されます。その行為を効果的に行うための神経回路をつくりあげるのです。
(中略)
私たちがプレゼンや商談などで失敗してしまうのは、単純な話、いつも以上のパフォーマンスを本番に期待するからです。
しかしながら、脳の仕組みを考えれば、そううまくいかないのは明らか。つまり、日々の仕事への向き合い方が、そのままパフォーマンスに直結します。
たとえば、営業マンでいえば、表情や声の出し方、話の進め方など、大物のお客さんのところだけ張り切っても、意味がありません。
どのお客さんに対しても、常に同じように接していなければ、本番でそれ以上の成果は出ないのです。
(後略)

「どのお客さんに対しても、常に同じように接していなければ・・・」という部分が示唆に富みます。
ですから、教室において普通に子ども達に接する機会に、気持ちのよい応対をするためには、普段から(家族に対して、友人に対して、職場の人たちに対して・・・)気持ちのよいあたたかい応対をしていなければならないのです。
要は、「いつでも」気持ちのよい暮らしをすることが、究極の練習となるのです。