卵が一個も入っていなかった人、いらっしゃい

私は、給食の盛り付けを、給食当番の子供に任せていました。
始めに、「大体このぐらいの量で盛り付けるんだよ。」と、目安となる盛り付けの見本を当番の子に示して、後は任せていたのです。

しかし、給食当番の子供に、盛りつけの微妙な量の調節は期待できません。大人だってできませんよ。

「おれのスープは少ない」
「私のデザートは少ない」

と思う子が出てきて当然です。

ですから、そんな盛り付けの不公平感を正すのが、先生の仕事なのです。
いただきますと挨拶する前に
「周りに比べて、あまりにも少ないという人、いらっしゃい。」

と、私は言います。(向山洋一先生の追試です)
私の言葉に応じて、食器をもって出ている子達がいます。
そんな少ないと不満のある子たちに、少しばかり増やしてあげれば、もう不満は解消されるのです。

また、子供はなぜか「卵」(うずら)に執着します。

私はそれを見越して、
いただきますと挨拶する前に
「卵が一個も入っていなかった人、いらっしゃい。」
と言っていました。

そして、1個もないと食器をもって出てきた子達に、「卵」を1つか2つ入れてあげたのです。

そうそう、「白玉だんご」も「一つも入っていなかった人、いらっしゃい。」でした。

食べ物の恨みが恐ろしいことはご存じですよね。