掃除の音楽をそっと小さくしていました

おそらく、日本の学校独特の文化だと思うのですが、休み時間や給食、掃除、そして、下校時に放送音楽を流すという文化があります。

私が勤務した学校では、多かれ少なかれ、何らかの放送音楽がありました。

(ごめんなさい。日本全国の学校、どこでもやっている文化かどうかはわかりません。)

正直言うと、私はずっと、この放送音楽のことを「余計なお世話」だと思っていました。

この放送音楽は、音楽をかけることで、子供たちに「休み時間の終わりです。教室に戻りましょう」「掃除の時間です。一生懸命掃除をしましょう」などという行動を促す意図があるのだと思います。

でも、チャイムが鳴ったり、時計が見たりすれば、1年生でもわかります。

音楽なんていりません。かえって、気が散ることもあるのです。
ですから、私はそれなりの対応をしていました。

掃除の時間になり、放送委員会が「掃除」のテーマの音楽をかけます。
教室に、軽妙な音楽が流れます。

ですが、申し訳ないのですが、私は、放送のボリュームを、そっと一番小さくしていました。
「掃除は黙々とやった方がよい」
と思っていたからです。

どうも「楽しく掃除」という考えが合わないのです。
(もちろん、いろんな掃除の考え方があるのは承知しています。)

掃除は、黙って、汚れている場所やゴミを見つけるように集中をして行うべきだ、と私は思っていました。

私は先頭にたって、淡々と、黙々と掃除をしていきます。
そして、あっという間に、教室の掃除は終わらせました。