月: 2018年3月
渡辺先生が教室にいるように感じていた
昨日、教室の雰囲気は、そこを統治している担任の先生の雰囲気だと思うと書きました。
ふと、数年前、私の学級を参観した横須賀の佐々木誠先生が、私の学級の雰囲気について書いていたので、紹介させてもらいます。
「教室には、まだ渡辺先生の姿はない。しかし、私は感覚的ではあるが、渡辺先生が教室にいるように感じていた。」
こういう感じ方もあるのです。
数年前、渡辺学級を参観した。そして、幸せなことに、15分間の授業をさせていただいた(参観する代わりに授業をするのです)。 渡辺学級の子ども達を、生で感じることができたのである。素敵な子ども達である。
休み時間が終わろうとする頃、私は、教室に入った。子ども達は、三々五々集まってきて、教室でいつも通り残り数分の休み時間を
過ごしていた。
あちこち歩き回る子、机の上に座って、友達とおしゃべりしている子、一人で本を読んでいる子、過ごし方は様々であった。「自然だなあ、自由だなあ」と感じた。
教室には、まだ渡辺先生の姿はない。しかし、私は感覚的ではあるが、渡辺先生が教室にいるように感じていた。… 続きを読む
メロスの感じたまちの違和感
英語の勉強を、かすかに継続しています。
私の勉強方法は、12/31のメルマガで書いたように、英語のやさしい本を読むことです。
ladder series というレベルごとに単語量が異なる英語の物語本を、毎日少しずつ読んでいるのです。
今、「走れ、メロス」を読んでいます。
そう、太宰治の作品です。
読んでいて、つい教師根性が出て、「あれっ、こういうことって、あるなあ」と思いました。
その箇所は、作品の冒頭です。
(妹に花嫁の衣裳やごちそうを買いに、シラクスの市にやってきて、都の道を歩きだしたところです。)… 続きを読む