現代経営学の創始者ピーター・ドラッカー博士による、有名なたとえ話があります。
ある建築現場を、旅人が通りかかりました。
そこで、レンガを作り、そして、そのレンガを積み上げている三人の石工に
「ここでいったい何をしているのですか?」
と聞いたのです。
一人目の男は、
「これで食べているのさ」
と答えました。
二人目の男は手を休めずに、
「腕のいい石工の仕事をしているんだ」
と答えました。
三人目は目を輝かせて、
「国で一番の教会を建てている」
と答えました。
私たちは、何のために働くのでしょうか。
もし、それが経済的な理由だけなら、そのことに人生の貴重な時間を使う価値はあるのでしょうか。
一人目の石工は、「食べていくこと」が目的です。経済的な理由ですね。
この目的なら、別に石工の仕事でなくてもいいのです。他の仕事でもかまいません。
二人目の石工は、自分の「技術の向上」が目的です。
自分が納得できるモノを作ることに集中します。職人として、自分の仕事にプライドをもっています。
しかし、そこには何かが欠けています。それは、全体を見る目です。
三人目の石工は、「世の中に貢献」が目的です。
事業の全体像がわかっていて、自分はその全体の中でどのような役割を果たしているのかもわかっているのです。
だからこそ、事業の目的を果たそうとその仕事に積極的に関わる姿勢が生まれます。
そもそも、働いてお金を受け取れるというのは、提供した物やサービスが他の人の役に立ったということです。
ですから、働く当人が意識しようがしまいが、働くことは他の人の役に立っているのです。
しかし、働く当人が何に役だっているか意識しないでいると、働く意欲も乏しくなり、成果もそこそこのものしか出すことはできないでしょう。 逆に、働く当人が何に役だっているか意識していれば、働く意欲が高まり、成果もグンと出すことができるのです。
では、
私たち教師は、何のために働くのでしょうか。
この三人の石工のたとえ話を、私なりに、教師の仕事に置きかえてみます。
一人目の教師は、
「これで食べているのさ」
と答えました。
二人目の教師は、
「しっかり教える仕事をしているんだ」
と答えました。
そして、
三人目の教師は、
「日本の未来を作る子どもたちを育てている」
と答えました。
目の前にいる子どもたちは、「日本」の大切な子どもたちであり、「未来」を作っていく子どもたちなのです。
しっかり教えることはもちろん大切です。
しかし、私は、日本のすばらしさや誇り、未来への夢と挑戦する心も、教え、そして、育んでいきたいと考えています。
たかが教師、されど教師なのです。
脚注 この稿は、サークル冊子「いぶき」(2018/01/08発行)の原稿に加筆したものです。
なお、「三人の石工」ではなく、「四人の石工」のたとえ話もあることをお知らせしておきます。