今日は、3.11 東日本大震災の起こった日です。
震災直後、避難した校庭で子ども達と見た沈痛にどんよりと曇った空のことを鮮明に思い出します。
胸が痛くなってきます。
ぜひ、子ども達には、地震・津波の被害や避難だけでなく、震災時にとった日本人の行動や世界各地の応援についても触れてほしいです。
今日は、その一人の日本人の行動について記しておきます。
政府は、平昌五輪のフィギュアスケート男子で連覇を達成した羽生結弦選手に国民栄誉賞を授与する方針を固めたというニュースが流れました。 菅義偉官房長官は会見で、「五輪連覇は社会に明るい夢や希望を与え、東日本大震災の復興への力強いメッセージとなった」とコメントしています。
震災直後、羽生選手が、仙台におけるスケートの練習拠点を失って、元のコーチがいた横浜の神奈川スケートセンター(現在の浜銀アイスアリーナ)に身を寄せて練習を始めました。 それは、3月末のことです。
ただ、震災の精神的なダメージは大きく、余震が来ると、誰よりも早くリンクから飛び出し、その日は練習をやめてしまったといいます。 「このままスケートを続けてもいいのだろうか」と自問自答を繰り返していました。
羽生選手は、4月の震災チャリティーショーに出演します。これをきっかけに、羽生選手は立ち直っていきます。
そして、3日に1回のペースで全国各地のチャリティーショーに出演しては横浜に戻り、一般客のいない午前6時と午後8時からの練習に打ち込みました。
「これから試合が始まったら、羽生は地震のせいで成績が落ちた、なんてことにはしたくない。もちろん自分が被災者の代表であることの誇りは絶対に失いはしないけれど」 「蒼い炎」 羽生結弦
そして、見事にソチオリンピックで金メダル。そして、今回のオリンピックでも金メダルをとったのです。
羽生結弦選手は、自分のことを被災者の代表であると位置づけています。
だからこそ、東北の方々は、羽生結弦選手を復興のシンボルのように応援していたのだと思います。
もちろん、神奈川スケートセンターで滑ったことのある私も応援していました。