なぜ「みなし残業」は長時間労働につながっていくのか

先の二回のメルマガで、公立学校の先生の時間外勤務が、いかに特殊かわかってもらたと思います。
では、もう一度、民間企業・地方公務員・教育公務員、それぞれの時間外勤務のあり方をまとめてみましょう。

1.民間企業(国立・私立学校の教員を含む)
・ 労働組合等との書面による協定(いわゆる三六協定)に基づき時間外勤務を命じることができる。
・ 時間外勤務には時間外勤務手当が支給される。

2.一般の地方公務員(教育事業等を除く)
・ 公務のために臨時の必要がある場合に、時間外勤務を命じることができる。
・ 時間外に勤務を行った場合には時間外勤務手当が支給される。

3.公立学校の教員
・ 原則として公務のために臨時の必要がある場合に時間外勤務を命じることはできないが、限定された場合に時間外勤務を命じることができる。 ・ 時間外勤務を命じることができる場合は政令で定める基準に従い条例で定める。(政令の基準:いわゆる「超勤4項目」)
・ これに応じて、時間外勤務手当及び休日給を支給せず、勤務時間の内外を問わず包括的に評価して教職調整額(給料月額の4パーセント)が支給される。 ・ 教育職員については、時間外勤務手当及び休日勤務手当は、支給しない。

文部科学省 時間外勤務に関する法令上の根拠 
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/031/siryo/07022716/003.htm

公立学校の教員の時間外勤務の特殊性は、「教特法」に由来し、「みなし残業」になっているとまとめることができます。

では、なぜ、「みなし残業」は長時間労働につながっていくのか、考えてみたいと思います。

管理する側に立つと、いくら働かせても残業代は変わらないのなら、できるだけ長く働かせたいでしょう。
もし、時間外手当が時間ごとに支給される仕組みだったら、できるだけ手当を少なくしようとして、費用対効果を考えたり、業務を見直したりして、早く家に帰ることを促すと思います。

働く側に立つと、そもそも業務が多すぎるということもあるかもしれませんが、「成果を上げるまでいくら時間をかけてもよい」と考えてしまうから、長時間労働になるのだと思います。

成果といっても、教師の仕事の本質に関わる「できるようにする・かしこくする」「個性を伸ばし、人間性を育む」ことではなく、些末などうでもいい成果にこだわりがちなのです。 見栄えのよい文書、分厚い文書、丁寧すぎる提案、壁や階段を飾りたてること、言い訳のためとしか思えない計画づくり、大量でていねいすぎる保護者向け文書・・・ 本質的な仕事と些末な仕事を分けずに、なんでもかんでも「成果を上げるまで時間をかけてしまう」のです。

もし、時間外手当が時間ごとに支給される仕組みだったら、先のような些末なことに時間をかけることは「無駄」と一刀両断されると思います。

ぜひ、何にでも「成果を上げるまでいくら時間をかけてもよい」と考えていないか、ちらっと心を点検してみてください。