教師の技術が評価をつくり出してしまう

先日、通知表に関する原稿を書かせていただきました。
そこで、

教師の技術が評価をつくり出してしまう

ことをあらためて考えました。

例えば事例として、私が苦手な音楽の場合で話しましょう。

1年生の音楽で、鍵盤ハーモニカを学習するときの導入です。

A先生の導入
鍵盤ハーモニカの使い方、しまい方、注意点などを説明をして、そして公共物や楽器の管理ということを、まず徹底して教えました。

B先生の導入
まず、鍵盤ハーモニカを演奏をして、音色のすばらしさを聴かせました。
さらに、1年生が過去に演奏した録音を聴かせました。
「練習すると、こんなに上手に演奏できるようになるんだよ。あなたたちもこうした演奏ができるようになってほしいな。」と意欲を喚起することを重点に教えました。

A先生のように、楽器の使いや管理方法を教えるということも大切です。
しかし、導入ということを考えるとB先生のほうがよかったのではないでしょうか。

結果としても、B先生のクラスの子供たちの方が、鍵盤ハーモニカに対する取り組みに関して意欲的だったのです。
当然、B先生のクラスの子供たちの方が、関心・意欲・態度の評価が高い子が多かったのでした。

振り返ってみると、私と言えば「へたくそな?B先生」タイプだったと思います。
少しは、苦手な音楽のことを学び、わずかでも技術を身につけようとしていました。

教師の技術が評価をつくり出してしまう。
このことを、心のどこかに留めておき、謙虚に教えていきたいと思います。