「俺はいいよ。でもYAZAWAがなんて言うかな?」

この頃、ランニングを再開しました。
前はけっこう走っていたのに、父の介護やら四十肩(私は、六十代なので、六十肩と呼べばよいのでしょうが)やらで、走ることをやめてしまったのです。 「これではいけない」と決心して、また走り出しました。

5kmからの再開です。
やはり、走り出すとしんどくなります。
息は切れませんが、足がすぐに重たくなるのです。

このとき、「もう走るのやめようか」と思います。

もう、3km走っているし、再開したばかりなんだからそんなに無理することはない。
明日、3kmより少し増やして走ればいい。
5kmをいきなりは、やり方がうまくないよ

こんなことを、重い足取りの中、ぶつぶつと考えているのです。

そんな堂々めぐりのためらいの中、私は、この頃、こう自分につぶやくことにしています。

「俺はいいって言うけど、ヨッシーがなんて言うかな?」

ヨッシーとは、架空のもうひとりの自分です。
そして、私はブルッと頭をふって、雑念を捨て去り、走り続けるのです。

歌手の矢沢永吉が、こんなことを自分にささやいて、自分を奮い立たせています。

「俺はいいよ。でもYAZAWAがなんて言うかな?」

矢沢永吉は、第三者視線の自分の人格に名前をつけているのです。
私も、本能的な自分「喜男(俺)」とは別に、理性的な自分に「ヨッシー」と名付けているのです。

ヨッシーがなんて言うかを考えたら、もう走り続けるしかありません。

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