「逆風の向こうにミライはある」 緒方貞子さん

明けましておめでとうございます。

年頭に当たり、特別なメルマガにさせてください。

昨年、亡くなられた緒方貞子さんは、私が発行している有料メルマガのブックレビューで取り上げていて、印象に残っています。

そのブックレビューは「ミライの授業」です。
緒方貞子さんは、12日間に渡ったブックレビューの最後でした。

緒方貞子さんは、国連難民高等弁務官として難民の救済に尽力しました。
「小さな巨人」と呼ばれ、国連で一番有名な日本人なのです。

緒方貞子さんの祖父は、5・15事件で倒れた犬養毅元首相です。
彼女は、聖心女子大学文学部卒業後、アメリカの大学院で政治学を学び、日本に帰国し、上智大学教授から、国連公使、国連人権委員会日本政府代表などを歴任します。

緒方貞子さんの名を世界に知らしめたのは、1991年国連難民高等弁務官(UNHCR)に就任後の前例のない難民救済です。
しかし、彼女の評価は、着任早々から高かったわけではありません。
「最初はアジアのお金持ちの国から送られてきた女性」だと思われていました。

無名の学者で、国連で働いたこともない。
西欧以外のアジアの国の出身である。
女性で背が小さい。

「どうせお飾りで、すぐ自分の国に戻ってしまう」とたかをくくっていたのです。

そんな中で、就任したての緒方貞子さんは、膨大な資料を読み込み、ネイティブ顔負けの英語で、次々と鋭く職員に質問していきます。 しばらくすると、緒方さんが事務所に来ただけで、緊張感が事務所にただようようになったそうです。

緒方貞子さんは、熱い心と冷たい頭で、単なる国連の高級官僚の椅子の一つであった難民高等弁務官事務所を、難民保護実行組織に作り替えてしまったのでした。

最初に抱えた問題が「クルド難民」危機です。
湾岸戦争直後に、イラク軍によってイラク北部で武装蜂起したクルド人が制圧されました。
このとき、175万人に及ぶクルド難民が発生したのです。

隣国トルコは、難民の受け入れを拒否します。
トルコもクルド人独立問題を抱えていて、イラクのクルド問題が飛び火するを恐れたのです。
このため、クルド難民は生活困難な山岳地帯に追い込まれます。

しかし、国連各国は難民キャンプなどの設営に反対します。
それは、「彼らは難民ではない」というのです。

難民には、定義があります。
「難民の地位に関する条約」で、「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受ける恐れがあるために他国に逃れた」人々と定義されているいです。 http://www.unhcr.org/jp/what_is_refugee

クルド人は、イラクの中で人種により迫害を受けて他国に逃げようとしたのですが、隣国トルコに拒否されたのです。
同じ国の中にいて迫害を受けているので、「難民」ではないというのです。
まさしくへりくつですが、当時は真剣な問題だったのです。(現在は、国内避難民と位置づけられています)

国連難民高等弁務官に就任したばかりの緒方貞子さんは、すぐに現地へ飛びます。

現場を詳しく視察した緒方貞子さんは、それまで難民の保護を直接の任務としていなかったUNHCRの職員の手で、イラク北部に強引に難民キャンプを設営します。 そして米軍に、食糧と住居の支援を依頼したのです。
これにより、多くのクルド人の命が助かりました。

これを機にUNHCRは国内避難民(国境を越えない避難民)にも支援を行うという大きな方針転換を行いました。

緒方さんは、前例のない難民救済を実行したのです。

このイラクのクルド難民問題の後、緒方貞子さんは、1年の半分以上海外での視察しています。

ユーゴスラビア紛争のサラエボ
ルワンダとブルンジ、ザイール
アフガニスタン
・・・

彼女は、防弾チョッキを着て、紛争地を視察します。
そして、紛争地の統治者と渡り合います。
セルビアのミロシェヴィッチ大統領と交渉し、ザイールのモブツ大統領と交渉し、また、利害が絡みあう国連安全保障会議で交渉します。

いつの間にか、
現地に行く150?の緒方さんのことを「小さな巨人」と呼ぶようになりました。

緒方さんの言葉です。

あいまいで不透明な問題などというものはない。
あいまいで不透明と考えるのであれば、それを個々の課題に落とし込み、課題ごとの方策を考えていくことが肝要。

緒方さんは熱い心の持ち主です。
しかし、それだけでなく、クールな頭でからみ合った問題を解きほぐしていきました。

いかに困難と思われる問題でも、きっと解決できます。
私たちも、緒方さんを見習い、問題解決を続けていきたいと思います。

「逆風の向こうにミライはある」のです。