「感覚が鈍い子・鋭い子」という見方を取り入れる

個人差と言うと、得意・不得意、好みの違い、外交的・内向的などがあげられますが、「感覚」の違いというのも個人差です。

私はジェットコースターが苦手ですが、そのジェットコースターが大好きな人達がいます。
私は辛いものが苦手ですが、その辛いものが大好きな人達がいます。
私は激しい音楽よりも穏やかな音楽が好きですが、ガンガンと激しい音楽が好きな人たちがいます。

これは、どちらが良い悪いではなく、「感覚」の違いなのです。

ただ、ジェットコースターや香辛料、音楽だったらよいのですが、時に、この感覚の違いがトラブルの原因になります。

刺激の強い遊びを好む人は、弱い感覚では物足りなく感じ、強い刺激を必要とする人です。
感覚が鈍い(鈍感)人なのです。

一方、
刺激の弱い繊細な遊びを好む人は、弱い感覚でも繊細に感じ取り、強い刺激を恐れたりつらく感じたりします
感覚が鋭い(敏感)な人なのです。

繰り返しますが、この感覚が鈍い鋭いというのは、良い悪いではありません。 違いなのです。

教室の子供たちを見てみると、中に大きな声を出して元気よく動き、友達と思いきりふざけたりする子がいます。クラスを盛り上げる子です。 それは、感覚が鈍い子で、強い刺激を求めるのです。

このような子は、安定するためには弱い刺激では物足りなく、普通よりも強い刺激を求めているのだと考えることができます。

そうだとすれば、休み時間の遊びを考えたり、授業においてもその子が活躍する場面を考えたりすることもできます。

ただ乱暴な子という見方でなく、感覚の鈍い・鋭いといった見方で、教室の子供たちを見てみてください。
違ったことに気づくと思います。