かつて6年生の国語の学習で「討論会をしよう」という単元があって、ディベートを盛んにやっていました。
ディベートでは、あるテーマについて、肯定側と否定側の2グループに分かれて、どちらが説得力があるかを競います。
言ってみれば、ディベートとは説得力の優劣を争う競技なのです。
このディベートの学習、子供たちは好きでした。チームとして力を合わせて相手の意見を論破するのが楽しかったのです。
ところが、ディベートの授業を見た先生たちの評判はあまり良くありませんでした。
「あまりに、攻撃的だ」というのです。
攻撃的。
確かに、そうです。むりもありません。
ディベートは、相手を理解する話し合いでなく、相手を論破する競技なのですから。
先生たちにとって、話し合いというと「交渉」ではなく「協調」のイメージなのでした。
とはいえ、必要以上に攻撃的になることはありません。
そんな、攻撃的にならない歯止めとなる言葉を、サークル冊子に祖父江開氏が紹介していました。
その言葉は、「たしかに」です。
祖父江先生は、こう言います。
「たしかに〜だけれど〜か らだ」という形で、相手を説得しなさい。」
「たしかに〜」を使わせるのがミソである。 必要以上に攻撃的になりにくくなる。 」
「たしかに」という言葉で、相手の考えを受け止め、その上で相手を説得しにかかるのです。
あの時の子供たちに、この言葉を教えたかったです。