もういつだったか覚えていないのですが、「カマリナの沼はかき回さず」という警句を耳にして、それ以来忘れられません。
そして、その「カマリナの沼はかき回さず」という警句は、私にとって「評価」と関連付けているのです。
詳しく調べてみると、「カマリナの沼はかき回さず」は、エラスムスの『痴愚神礼賛』の中に出てくるらしいとのこと。
その「カマリナの沼」とは、シチリア島にある毒気を含んだ沼地のことで、そっと通り過ぎてしまえばいいのです。
ですが、そっとしておけばよいのに、人はカマリナの沼に石を投げたり、沼をかき回したりして、毒をふきださせてしまいます。
そんな、わざわざ、よけいなことをして、自らを窮地に追いやってしすしまうことを「カマリナの沼をかき回す」と言うのです。
そして、私は評価について話すとき、「カマリナの沼はかき回さず」と言っていました。
それは、あまり評価・評定について綿密に理屈っぽくやってしまうと、評価そのものが目的となってしまい、授業がおろそかになるからです。
だいたい、体育の授業の最中に、名簿を手にして評価チェックしているのはナンセンスだと思っていました。
「そんなことしてないで、教えろよ」です。
評価について論議していくと、どんどん難しい方向に向かっていって、よい授業から離れていく印象があります。