昨日は、困難なクラスを担任していた時、私はどのように「楽観的に」考えようとしていたのかを示しました。
その問いかけは「この困難さはずっと続くのか」でした。
答えは、「この困難さは一時的なものだ」となるわけです。
でも、まだ「楽観的に」考える問いかけはあります。
例えば、「このクラスの荒れで、私の人生は無茶苦茶になるのか」というもの。
極端な問いかけだとは思いますが、苦しくなってくると「何もかも、もう終わりだあ」みたいな気持ちになりがちなのです。
でも、よくよく考えてみると、家族は変わらず私を頼り、支えてくれています。別段、金銭的にも困窮しているわけでもありません。 サークルの仲間もいるし、これまで同様セミナーもやっています。
趣味の・・の仲間も、同じように接してくれています。
そう、困難なのは、クラスだけなのです。「ここだけ」ですね。
まとめると、
「この困難さの影響は限定的である」
となります。
限定的だと考えられることによって、全部が悪いのではなく、まだまだだいじょうぶだという気持ちになることができます。
もし、今、困難な状況だったら、ちらっと考えてみてください。
きっと、全部悪いなんてことはありません。だいじょうぶですよ。