「負担が重すぎない範囲の対応」を考える2

「合理的配慮」は、それぞれのケースごとに行われることが異なって当然です。 それは、子供が異なり(保護者が異なり)、教師と学習環境が異なるからです。
要はニーズが異なっている上に、そのニーズに対応する側も異なっているのです。 ここらへんが、「建設的な対話」が重要とされる所以ですね。
さて、こんな事例があります。
事例2:読み書きに困難さが見られる5年児童 児童の様子 ・通常の学級に在籍し、通級による指導(自校通級)を受けている。LD(学習障害)の傾向があり、漢字の読み書きが難しい。手本を見ながらでも、細かい部分を間違えることがある。書くことに強い抵抗感がある。 ・音読はルビをふるとできる。 ・全般的に学習意欲が低下している。
「山口県 学校における合理的配慮の提供」 em-tr271.com/L90494/b581/124981
ここでは、「ルビ」に着目して考えてみます。
この事例では、校内委員会で教科書、テストにルビをふることを検討して、保護者に提示していったとあります。
もちろん、ルビをふることで漢字の読みの困難さが軽減されるので、ルビはふることを選択すべきです。
ただ、この事例では、
「誰がルビをふるのか」
が明示されていません。
ここが明らかにされないと、「負担が重すぎない範囲」かどうかが判定できません。
例えば、この子の担任が、家族を介護しなくてはならない先生だったり、初任の先生で事務作業にゆとりのない先生だったりしたら、どうでしょうか。
学校として、ルビをふる作業ができる余剰の先生がいるのでしょうか。
しかし、現在の学校体制だったら、こういった場合でも、担任の先生にルビをふる作業をさせるのではないかと思います。
ですが、ここは学校の実情を保護者に話し、教科書のルビについては保護者にやってもらうように合意形成をはかることが必要だと思うのです。
なんでもかんでも、丸ごと学校が引き受けて、加重な負担を負うことで、他の教育活動に支障がきっと出てくるからです。 無理をしすぎると、きっと長続きはできません。