先週の土曜日に、教育サークルの仲間で「あんな子・こんな子 私なりのアプローチ」という講座を開催しました。 講座というと大げさですが、要は、クラスにいる特徴のある手がかかる子について、こんな対応をしたら、うまくいった、うまくいかなかったという実践を紹介したわけです。
ここで、「手がかかる子」と私は表現しましたが、これは教師サイドから見た子供の姿ですね。
手がかかる子・手間がかかる子・気になる子・先生を困らせる子・・・
といった感じでしょうか。
ですが、子供サイドから見ると、それは、
弱っている子・困っている子・傷ついている子・不安で不安定な子・・・
という表現になります。
ここでの子供の姿は、「意識がしっかりしていて自分をコントロールできている」のではなく、
「自分のことを意識せず、コントロールできていない」
状態ですね。
ここは自分を反省しながら言うのですが、私達は、ここでよく勘違いします。 それは、この「自分のことを意識せず、コントロールできていない」のは、努力不足、がんばりが足りない、そんなことはわがままだと捉えてしまうのです。
ですが、そもそもは、心の不安定さが乱れた行動となって表れたのです。
心の不安定さは、努力で解消できるものではありません。
ここで、「手がかかる子」と私は表現しましたが、これは教師サイドから見た子供の姿ですね。
手がかかる子・手間がかかる子・気になる子・先生を困らせる子・・・
といった感じでしょうか。
ですが、子供サイドから見ると、それは、
弱っている子・困っている子・傷ついている子・不安で不安定な子・・・
という表現になります。
ここでの子供の姿は、「意識がしっかりしていて自分をコントロールできている」のではなく、
「自分のことを意識せず、コントロールできていない」
状態ですね。
ここは自分を反省しながら言うのですが、私達は、ここでよく勘違いします。 それは、この「自分のことを意識せず、コントロールできていない」のは、努力不足、がんばりが足りない、そんなことはわがままだと捉えてしまうのです。
ですが、そもそもは、心の不安定さが乱れた行動となって表れたのです。
心の不安定さは、努力で解消できるものではありません。