通知表を間違えて渡していたことを取り上げました。
もちろん、別の子に他の子の通知表を渡してしまうなんて、そんな初歩的なミスはやってはいけないことです。 ですが、それでも、そんなミスをしてしまうものです。
これは誰だってあります。 大の大人が、支払いで千円札と一万円札を間違えて渡してしまったり、Tシャツを表裏違えて着てしまったり、そんなミスは、ある確率で起こす(起こる)ことなのです。
私だって、通知表に関わる、やっちまったというミスはけっこうあります。 まだ、手書きの通知表の頃、コーヒーを手元において通知表を書いていたら、ふとした瞬間にコーヒーカップを倒してしまって、通知表をコーヒー色に染めて?しまったこともあったのです。
もちろん、保護者に謝罪し、通知表を作り直しました。
今回の他の子に渡したミスでも、その子は中身を全く見てなかったし、加えて、保護者に謝罪して、保護者から何のお咎めもありませんでした。
ところが、ここから違和感が生じます。
校長先生が判断したのか、教育委員会が指示したのかわかりませんが、この件を「発表」したのです。
私は、特段、支障があったわけでもなく、そもそも、通知表は公的な文書ではないのですから、「発表」することではないと考えています。
「私はこんな失敗しました」というのを、このようなレベルのことまで公的に発表するのは、予防線をはりすぎです。自信がなさすぎです。体裁、外から声に気を遣いすぎです。
このようなことをやっているから、先生への人気がなくなるわけです。
そのうち、配布プリントを配り忘れたなんてことが、「発表」されるかもしれないとさえ思っています。
もちろん、別の子に他の子の通知表を渡してしまうなんて、そんな初歩的なミスはやってはいけないことです。 ですが、それでも、そんなミスをしてしまうものです。
これは誰だってあります。 大の大人が、支払いで千円札と一万円札を間違えて渡してしまったり、Tシャツを表裏違えて着てしまったり、そんなミスは、ある確率で起こす(起こる)ことなのです。
私だって、通知表に関わる、やっちまったというミスはけっこうあります。 まだ、手書きの通知表の頃、コーヒーを手元において通知表を書いていたら、ふとした瞬間にコーヒーカップを倒してしまって、通知表をコーヒー色に染めて?しまったこともあったのです。
もちろん、保護者に謝罪し、通知表を作り直しました。
今回の他の子に渡したミスでも、その子は中身を全く見てなかったし、加えて、保護者に謝罪して、保護者から何のお咎めもありませんでした。
ところが、ここから違和感が生じます。
校長先生が判断したのか、教育委員会が指示したのかわかりませんが、この件を「発表」したのです。
私は、特段、支障があったわけでもなく、そもそも、通知表は公的な文書ではないのですから、「発表」することではないと考えています。
「私はこんな失敗しました」というのを、このようなレベルのことまで公的に発表するのは、予防線をはりすぎです。自信がなさすぎです。体裁、外から声に気を遣いすぎです。
このようなことをやっているから、先生への人気がなくなるわけです。
そのうち、配布プリントを配り忘れたなんてことが、「発表」されるかもしれないとさえ思っています。