前回から、「不親切教師」という、松尾英明氏の考える捉えについて取り上げています。
ただ、おいおい、「不親切教師」になることを推奨するとは、何事だと思いませんか。 そもそも、教師は子供を指導し、支えていく者です。それは「親切」です。それが不要とは、教師の役目を放棄していることではないか、と考えるわけです。
でも、それは考え違い、というか、松尾氏の説明が言葉足らずなのです。
「不親切教師」という意味は、「子供にとって、もう親切にする必要がないことをやめる教師」という意味です。
松尾氏は、教育技術学会において、このように発言していました。
それは、
「親切レベルの調節をしていこう」
です。
要するに、親切をやめるのではなく、子供の状態に合わせて、親切のレベル・度合いを変えていくべきだというのです。
なぜ、このような主張をするのでしょうか。 それは、松尾氏が、
「教師が過剰に親切にすることで、子供が成長することを返って阻害している」
と考えているからなのです。
ただ、おいおい、「不親切教師」になることを推奨するとは、何事だと思いませんか。 そもそも、教師は子供を指導し、支えていく者です。それは「親切」です。それが不要とは、教師の役目を放棄していることではないか、と考えるわけです。
でも、それは考え違い、というか、松尾氏の説明が言葉足らずなのです。
「不親切教師」という意味は、「子供にとって、もう親切にする必要がないことをやめる教師」という意味です。
松尾氏は、教育技術学会において、このように発言していました。
それは、
「親切レベルの調節をしていこう」
です。
要するに、親切をやめるのではなく、子供の状態に合わせて、親切のレベル・度合いを変えていくべきだというのです。
なぜ、このような主張をするのでしょうか。 それは、松尾氏が、
「教師が過剰に親切にすることで、子供が成長することを返って阻害している」
と考えているからなのです。