「事前規制」の昭和

昨日、私が紹介した産経新聞の「コンプライアンスの世界線」という記事は、成蹊大学教授の伊藤昌亮氏の意見が元になっています。 em-tr271.com/L90494/b581/126711
そこに登場する「事前規制と事後監視」という概念について、考えてみます。 まずは、「事前規制」について。
「事前規制」とは、ざっくり言って「慣習」です。暗黙の決め事・世間での暗黙の合意事項と言ってもよいです。 先の記事だと、コード(振る舞い、型、規範)です。
そのコード・慣習を守ることが、事前に求められていたわけです。 例えば、先の記事では、「自分の仕事が終わっていても上司より先には退社しない」が取り上げられていました。 開始時間についても、初任の先生や教育実習生には、始業30分前には学校にいることが求められていましたね。
男らしくあること。逆に、女らしくあることも、コードでした。
そう、先生らしくということもありました。 「先生らしく厳しく」といった風潮があったものです。
私が初任のとき、家庭訪問で、多くの保護者に言われたことが「厳しくやってください。ガツンとやってかまいません」ということでした。 だからといって、ガツンとやったわけではありませんが、それでも、厳しく叱る場面もけっこうあったというのも事実なのです。
とにかく、こういう慣習、こうしたコード(振る舞い、型、規範)を守ることが、暗黙のうちに求められたわけなのです。
そして、このコードを守れない人は、そこで排除されていきました。これが「事前規制」です。 夕方、先輩が残業しているのに、とっとと帰っていくような若い人は、冷たく扱われたものなのです。
ただ、この慣習、このコードを守っていさえすれば、けっこう内部では、自由な振る舞いが許されていたと、伊藤氏は言います。
自由というか、現在だったらセクハラや、パワハラのように思えることも、けっこう許されてきたというのです。
そんな時代が、「昭和」でした。