「事前規制」の昭和2

今日も、もう少し、「事前規制と事後監視」のうちの「事前規制」という概念について、考えてみます。 私の理解が、まだまだ足りません。
「事前規制」とは、「コード」(振る舞い、型、規範)・「慣習」であって、世間での暗黙の合意事項です。
ちょっと考えたら、こんなことが出てきました。
・始業前のお茶は、女の先生がいれる ・飲み会のセットは、若手の男性教師がする
まだまだ、こんな慣習は残っていると思われます。
初任のとき、私はお茶を入れたことがありません。 いつも、同学年の女の先生が入れてくれました。 このとき、このような業務分担が決まっていないからといって、自分の分しかお茶をいれない女の先生がいたら、激烈に排斥されていたと思います。
一方、飲み会のセットは、2年目からやらされるようになりました。それが続いて、30歳半ば過ぎぐらいまで、飲み会のセットや旅行会のセットを私は、率先というか、なんとなくやっていました。
実は、私より若手の先生が少しですが入ってきていたのですが、その先生は、そのような行為が好きでなかったのか、苦手だったのかやりませんでした。 私は、内心、その先生のことを信用しない、当てにしないと決めていました。
まだまだ、考えていけば、出てきます。
ここで、心に留めておくことは、
・暗黙のコード・慣習を守ることが、「事前に」求められている ・守らないと、排除される、疎まれる
ということです。
そして、
・求められたことを守っていれば、その人の価値を認められて、自由に振る舞える
ということです。
先の例で言えば、お茶を入れている先生が、それを根拠に同性差別の発言をしても咎められないし、飲み会をセットしている私が割り勘で余った少々のお金を懐に入れても、寛容に扱ってもらえるなんてことが起こるわけです。
これを自由というか、おおらかというかわかりませんが、現在だったらいかがかということも、けっこう許されてきました。
そんな時代が、「昭和」だったのです。