「話を聞かせる力をつける」の内容のうち、「先生が子供に話を聞かせる力(=話術)をつける」ことの話題を続けます。
私が若い頃、教師になって、まず直面した、話を聞かせるスキルの必要性を感じた場面は、全校朝会の司会でした。
それまでの人生で、自分の話を聞いてもらうのはせいぜい4〜5人というところでしょうか。 それが、一気に数百人、全校生徒で700人ほどの規模に増えたのです。 当惑するのも当然だと思います。
ですから、どう話したらよいか、どんな話題であればよいか、ずいぶん悩みました。 そんな私ですから、当然「先生が子供に話を聞かせる力(=話術)をつける」ことに意識が向きました。
最初は「話題(ネタ)」に意識が向きました。 もちろん、それは大切で、新奇なネタなら、子供たちは話に食いついてきます。 これは、教室でクラスの子に話す際の方が、重要性が高いと気づきました。 全校朝会では、若い私が担当として話す場面はほとんどなかったからです。
それよりも、全校朝会を取り仕切る司会は、輪番でけっこう回ってきたのです。 全校児童が運動場や体育館に集まってきて、なんとなくざわざわして、列もぐにゃぐにゃしているのを鎮めて整列させ、それを話をする校長先生らに引き継ぐのが司会の役目でした。
まずいなあ、どうやったらいいのだろうかとずいぶん悩んだことを覚えています。
私が若い頃、教師になって、まず直面した、話を聞かせるスキルの必要性を感じた場面は、全校朝会の司会でした。
それまでの人生で、自分の話を聞いてもらうのはせいぜい4〜5人というところでしょうか。 それが、一気に数百人、全校生徒で700人ほどの規模に増えたのです。 当惑するのも当然だと思います。
ですから、どう話したらよいか、どんな話題であればよいか、ずいぶん悩みました。 そんな私ですから、当然「先生が子供に話を聞かせる力(=話術)をつける」ことに意識が向きました。
最初は「話題(ネタ)」に意識が向きました。 もちろん、それは大切で、新奇なネタなら、子供たちは話に食いついてきます。 これは、教室でクラスの子に話す際の方が、重要性が高いと気づきました。 全校朝会では、若い私が担当として話す場面はほとんどなかったからです。
それよりも、全校朝会を取り仕切る司会は、輪番でけっこう回ってきたのです。 全校児童が運動場や体育館に集まってきて、なんとなくざわざわして、列もぐにゃぐにゃしているのを鎮めて整列させ、それを話をする校長先生らに引き継ぐのが司会の役目でした。
まずいなあ、どうやったらいいのだろうかとずいぶん悩んだことを覚えています。