「我が子の宿題」

私は、先生方に、世の中の先進的な情報をキャッチすべくアンテナを立て、子供たちや保護者の反応を鋭く察知してもらいたいという願いをもっています。このメルマガも、そんな私の願いの現れでもあります。

ですから、時折入ってくる次のような情報に、内心、同業者として申し訳なく、かつ、怒りを覚えます。

−−−−−−−
ある保護者からの発信「我が子の宿題」

娘が2年生の時、1日の宿題が、漢字ドリル2ページ(20問を2ページ)、計算ドリル2ページという量を出された。

唖然とした。
繰り返し練習による知識の定着は必要であるが、明らかに家庭で終えられない要求をされることがある。

家庭の現実
子どもは真面目である。
親も、「学校で子どもが叱られる」のが嫌なので、いっしょに行う。

母親のママLINE、娘の会話からは、驚くべき言葉が聞かれる。
「〇〇ちゃんは、夜の12時までやったらしいよ。」
「〇〇ちゃん、いつも宿題しているよ。」
「〇〇くん、宿題をしなくてまた怒られてたよ。」

勉強が苦手な子は…
娘の学習の理解力は標準的(多分)なので、課題を終わらせることは可能だが、「勉強が苦手な子」の苦労は察するに余りある。

教師は善意と思ってしていることが、害となっていることには様々あるだろう。
その一つが宿題である。

先生は…
教師は教育系の大学に入ることのできたある意味、優等生である。
だから「宿題をしない」子どもや家庭の状況への想像力が欠けやすい。

教師が「見ていない」現実
今年の娘(小5)の担任の女性教師は宿題が少ない。
娘は、「今までで一番良い!」「20分ぐらいで終わって、そのあと、公文と英語宿題ができる」と言っている。
−−−−−−−−−−

ここには、このような教師の心を「善意」だと言っていますが、自分が行った行為が引き起こす効果について無自覚なのは、「悪」だと思います。