「奈々子に」  吉野弘

昨日は、「自分を大切にする」ことについて、触れました。
実は、吉野弘氏の「奈々子に」という詩を知ったことで、改めて考えてみたのです。

ぜひ、メルマガの読者にも、吉野弘氏が、長女に贈ったこの詩を知ってもらいたいです。
確かに、自分を愛する心は「かちとるにむずかしく」「はぐくむにむずかしい」です。
しかし、それだからこそ、油断せずに、じわじわと自分を愛することができる時間を増やし、自分を愛する領域を増やしていきたいのです。

「奈々子に」  吉野弘

赤い林檎の頬をして
眠っている 奈々子

お前のお母さんの頬の赤さは
そっくり
奈々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの
つややかな頬は少し青ざめた
お父さんにもちょっと
酸っぱい思いがふえた

唐突だが
奈々子
お父さんは お前に
多くを期待しないだろう
ひとが
ほかからの期待に応えようとして
どんなに
自分を駄目にしてしまうか
お父さんは
はっきり
知ってしまったから

お父さんが
お前にあげたいものは
健康と
自分を愛する心だ

ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ

自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう

自分があるとき
他人があり
世界がある

お父さんにも
お母さんにも
酸っぱい苦労が増えた
苦労は
今は
お前にあげられない

お前にあげたいものは
香りのよい健康と
かちとるにむづかしく
はぐくむにむづかしい
自分を愛する心だ