過度に確認作業を求めるから息苦しく、多忙になってくる

学校に対して、過度な確認作業を求める風潮があります。
何もかも学校の責任という視点が、学校を息苦しく、そして、多忙にしているのだと思うのです。

以下の事案は、学校に対してではありません。学校関係のバス会社に対する事案ですが、この会社に対する姿勢は、学校に対するものと同じものです。

三重県の中学校のスクールバスに乗っていた中学1年生が眠ってしまい、最後の停留所で降り忘れて、そのまま、バスの車庫まで行ってしまったということがありました。

このことに関して、市教委はバス会社に対し、車内に生徒がいないかどうか確認を徹底するなどの再発防止を求めたのです。

運転手さんは、最後のバス停で停車し、降りる子たちを確認してから、車庫に移動させました。
ですが、その車庫についたところで、中学生に声をかけられて気づいたのです。

確かに、幼稚園・保育園児の置き去りの事故があって、様々な防止策が行われています。

しかし、今回の件は中学生です。
最後の停留所で、後ろの席まで行って確認するまでもなく、このバス停までにみんな降りたと思うのが当然だと思います。

これは、運転手さんが責められるべきではなく、まず眠りこけた中学生を責めるべきです。
閉じ込めや置き去りということではなく、ただの寝過ごしということです。

謝るべきなのは中学生であって、運転手さんではないと思います。

こういうことをニュースとして取り上げるから、息苦しくなってくるのです。