「生存の基本的欲求」のすれ違い

昨日は、選択理論心理学において、自分と相手の基本的欲求の大きさの違いから起こる「すれ違い」として、「愛・承認の基本的欲求」の例を取り上げました。

今日は、「生存の基本的欲求」のすれ違いについてです。

実は、私は「生存の基本的欲求」は小さいのです。
まあ、お茶碗くらいだと考えてよいです。あっという間に満たされてしまいます。
ですから、地震が起こっても、そんなに慌てずにそのうち揺れがおさまるというように、ゆったりと構えています。
加えて、備蓄についても、なんとも無頓着です。
私の住んでいる地域は都会なので、食料がなくなるなんてことはないとさえ思っています。

一方、私の妻は「生存の基本的欲求」はかなり大きいのかもしれません。ビールジョッキくらいだとイメージできます。なかなか満たされないのです。 地震が起こったら、スッ飛んで、窓や玄関を開放します。そして、テレビやスマホの情報を手に入れます。
また、備蓄食糧や水についても常に気をつけて、時折、期限を確かめて交換するなどしています。
そして、いざというときのために、風呂には常に水が張ってあるように気をつけているのです。

このように、家族においても「生存の基本的欲求」のすれ違いは、起こるわけです。
こんなときお互いに、強く意見を主張してもいやな雰囲気になるだけです。

基本は、相手の欲求について理解し、その欲求を満たすようにすることなのです。