日曜日のもくもくルームで、西加奈子の小説の「サラバ」を紹介してもらいました。この「サラバ」、読んでほんとよかったと思える小説でした。
さて、その「サラバ」で、主人公の家族がエジプトから日本に帰国した際、癖のある母親とは、日本の様子をこんなふうに考えているのでした。
「あらかじめ小さく切られたネギのパックを見て、母は「?やろ」と言い、レトルトの袋に書いてある「ここからお開けください」の矢印を見て「阿呆か」と言った。
母が言うには、このままでは、日本人の手は退化し、脳みそも小さくなるに違いない、とのことだった。駅に行けば「電車の到着が1分ほど遅れましたことをお詫びもうしあげます」、電車に乗れば「傘のお忘れものにご注意ください」、確かにこれでは、自分で考える暇がなかった。」
私も、この母の意見に賛成なところがあります。
それは、日本では「余計なお世話」なエリアまで踏み込んでいることがけっこうあると思うからです。
特に、それは交通機関で顕著です。
ここでの「傘のお忘れものにご注意ください」というアナウンスも、「自分で気をつけるわい!いらんこと言うな!」と言いたくなります。
そもそも、「・番線に電車がまいります」というアナウンスも、電車が来るのを見ていればよいわけです。余計なお世話です。
そんなことを考えれば、日本の駅はアナウンスでうるさすぎます。
アナウンスゼロ、それで済むのにと、私は考えています。
小さな親切、余計なお世話。
こんなことが、けっこうあるわけです。
皆さんはいかが考えますか。