文学教材の指導に関連して 1

小学校の教師にとって、国語において、文学教材をどう指導していくかは、かなり悩ましいものだと思います。

小学校の学習指導要領の解説編にある指導事項を引用します。
低学年の文学的な文章の解釈に関する指導事項
・ 物語などを読む場合には,時間や場所,問題状況などの設定,情景や場面の様子の変化,主人公などの登場人物,登場人物の性格や行動,会話及び心情の変化,事件の
展開と解決などの基本的な構成要素を理解していくことが必要である。
中学年の文学的な文章の解釈に関する指導事項
・ 物語の場面の移り変わりに注意しながら,登場人物の性格や気持ちの変化,情景などについて想像して読むことを示している。
高学年の文学的な文章の解釈に関する指導事項
・ 登場人物の相互関係や心情,場面についての描写をとらえ,優れた叙述について自分の考えをまとめることを示している。

何となく、わかったようなわからないような感じがします。

以下、自分なりの考えを述べていきます。
まず、文学教材を読ませる際、「好悪」(好き嫌い)のレベルで読ませるのではないのは当然のことですね。
もちろん、自分で本を買って、これは好き、これは嫌いというのは、それぞれの人の自由です。村上春樹の「○○は好きだけど、××は嫌いなんだ」という感想はありですが、国語の指導において、「好きですか、嫌いですか」という判断はなじみません。教えることではないです。

次に、文学教材を読ませる際、「善悪」のレベルで読ませるのではないことも確認しておきます。登場人物の言動が道徳的かどうか、などは教えるべきことではありません。もちろん、そのような読み方も可能ですが、それは、道徳の授業がふさわしいことです。文学は、善も表現し、そして、悪も表現するから、深みがあるのだと思います。

ついで、文学教材を読ませる際、「優劣」(この作品が優れている、劣っている)のレベルで読ませることは、ほとんどないと思います。それは、普通は、教科書会社がその作品が「優れている」と判断したからこそ、教科書に掲載されていると判断するからです。
ですが、時に、適切な解釈の方法を身につけた子どもに、この作品は優れている、劣っていると判断させることはあると思います。実際に、時系列で場面の連続性が破綻している作品も、けっこうあって、そこを指摘させる授業もあるのです。

(続く)