2018/05/20
須貝 誠先生の「本当によい先生の見分け方」の5つ目、最後です。
「黒板に「めあて」を書くかどうか?」です。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55260
これは「黒板に「めあて」を書かない先生がよい先生」です。
須貝先生はこのように述べています。
一部の偉い人たちは、「めあて」を黒板に書くことをすすめる。「めあて」なんていらないのに!何の勉強を始めるのか分からなくても平気だ。むしろ、いきなり始めた方が盛り上がる。集中する。子どもの頭の中にも残る。
最近は、附属小学校の教官でも「めあて」に批判的だ。「めあて」を書いたからと言って、子どもの学力が伸びるとは限らない。書かなくても伸びる。「めあて」書くと、何が始まるのというワクワク感もなくなる。 演劇だって、いきなり始まる。「何だ!何だ!何が起きるの?」と一瞬で、劇の中に引き込まれる。当然、「めあて」を観客に知らせることはない。 だから、「めあて」という形式にこだわる必要はないのだ。毎時間授業の最初を工夫し、子どもを引き付けている先生が良い先生だ。
「めあてを書く」ことと似ていることに、「学習の流れを書く」ことがあります。
1時間の授業の流れを、授業の最初に提示しようというのです。もしかしたら、指導担当の先生や学年の先生に言われた方もいるかもしれません。
特別支援が必要な子に、学習の流れを事前に伝えることは大切だと思います。
それによって、次に何をやるのかがわかって、心が安定するからです。
図工の学習や家庭科の学習など考えるとわかりやすいと思います。これは、片付けの時間が必要だからでもあります。
ですが、学習の流れをその都度伝える必要のない場合もたくさんあります。
それは、大体同じようなパターンで行われる学習の場合です。
例えば算数です。算数の学習はだいたい同じです。問題文を読んで解き方を考え、解き方をみんなで確定し、練習問題をやって習熟する。 これをいちいち毎時間、学習の流れを伝えたらいやになってしまいます。
算数だけでなく、国語、社会、理科も大体同じようなパターンですね。
さて、
めあてを書くことにもどりましょう。
めあてを書きなさいと言われている先生が多いと聞きます。
ですが、私が不愉快なのは、めあてを書くことで子どもが勉強を熱心にやるようになった、集中したという事実を伝えられていないことです。
めあてなんて書かなくても、楽しい集中した授業ができます。
いや、めあてを書くことで、返ってもっさりした授業になってしまうことが多いです。
だいたい、めあてを書くという「形式」的なことを行えば学力が向上するなんて、そんないいかげんなものではありません。
それを、めあてを書いたからよい授業・めあてを書かなかったから悪い授業と、授業の中身について触れないで批評する「形式」主義が、先生たちをダメにしていくんだと思います。