日本とアメリカの歴史授業における発問の違い

ある社会のセミナーにおいて、村野聡氏から、日本とアメリカの歴史授業における発問の違いを教えてもらいました。

「日本の教師とアメリカの教師では、それぞれどんな発問が多いのか」

という研究です。
元のデータは、渡辺雅子氏の著作です。

それによると、
日本の教師は、「How」「どのように」という発問が多かったのです。
これは、どんな順序に出来事が起こっていくかという「過程」を問うていて、通史的に出来事が起こった順に学んでいくことになります。

一方、
アメリカの教師は、「Why」「なぜ」という発音が多かったのです。
これは、ある時点から遡って「因果関係」を問うていて、結果から時間を遡っていくように学んでいくことになります。
なぜその出来事が起こったのかと問うわけです。

確かに、私はそのような歴史の授業をやってきました。
源頼朝は、打倒平家を掲げて、まずどんな戦いを源義経にさせましたか。最後の戦いは何ですか。そして、どこで、源義経を討伐されたのですか。・・・ このような、「過程」にそった授業を行っています。

一方、アメリカだと、例えば、なぜ源頼朝と自分で戦わず源義経に平家と戦わせたのですか。なぜ源頼朝は源義経を討伐したのか。などという「理由」を問う授業を行うのです。

「そうか、そんな違いがあるのだ」と、私はびっくりしたしだいです。

こんな違いを知ると、「歴史に学ぶ」という観点ならば、アメリカの歴史授業のように、もっと「Why」と問う授業が行われてよいのだと考えました。

皆さんはいかがですか。