未来にはかしこいロボットがいるのに、勉強しなきゃいけないの?

NHKのEテレで、「未来のための対話 教えて!養老先生×落合先生」なる番組をやっていて、小学校3年生が、養老孟司氏と落合陽一氏に根本的な問いを投げかける設定に、ついつい見入ってしまいました。

こんな問いです。
「未来にはかしこいロボットがいるのに、勉強しなきゃいけないの?」

いかがでしょうか。
皆さんだったら、どう答えますか?

かしこいロボットがいても、自分の代わりにはなってもらっても意味がないというか、自分がやるからこそ意味があるという体験があります。 それは、自分がやるからこそ、熱中して幸せを感じることができることです。

いやいややる勉強は、だんだんしなくてもよくなると思います。
でも、自分がやりたいことは、努力している感覚なく勉強していくと思います。

私は、そんなことを考えました。

虫好きな養老孟司氏も、こんなことを言っています。

「他人がいい虫とってきてもおもしろくない。自分でとるからおもしろい。虫をとるって そう簡単じゃないんですよ?「どこにいるか?」から始まって、自分で考えてやらなくちゃいけない。 好きなことをやろうと思う人は勉強せざるをえない。」
「未来でも勉強する それも自分でする」

全く同感です。

現在、学校では、先生が問題を出して勉強させることがほとんどだけど、今後、そのようなやらされる勉強は減っていくと思います。 だけど、好きなことも含めて、自分で問題を見つけてきて、その勉強をすることは、絶対になくならないと思います。

やらさせる勉強はなくなる。
やりたい勉強はなくならない。

そう思います。