今はその時ではない

今日の話題も、「すっぱい葡萄問題」です。

クライアントさんが「取れなかった葡萄はすっぱいはずだ」と「合理化」したら、コーチはどう対応したらよいでしょうか。

これは、教室で子供たちの話を聞く教師の対応に通じることでもあると思うので、ご自身だったらどうするか、少し考えてみてください。

私は、その時、クライアントさんが話すことをじっくり聞いて、その話題が過ぎるを待っていました。
クライアントさんは、ほどなく、違う前向きな話題になり、そのことについて、私も一緒に考えたのでした。

いかがでしょうか。

私の微妙な?判断は、このことについて考えるのは時期尚早だと思ったわけです。
クライアントさんの心は、試験に落ちたという「傷」に向き合うほどには、回復していない・癒えていないと思ったのです。

それとともに、クライアントさんは、しばらく時が経過して心が癒えたら、きっと自分の心の「傷」に向き合って考えていくと、私は信頼し、確信していました。

ただ、私は「今はその時ではない」と思ったのです。

心は正論だけで、すぐに動きません。
心が動くためには、じわじわと傷が癒えてかさぶたになっていくように、時間がかかることもあるのだと考えています。