今日も「教師の余計なお世話」について取り上げます。
今回のテーマは 習字の掲示です。
これは正直、私は考えもしなかったことでした。
松尾英明氏は、「不親切教師のススメ」において、習字の掲示について触れていて、これこそいらないと言っているのです。
習字においてはお手本があって、これに近ければ近いほど良い作品であるというのが、教室における評価です。
ですから、この点においては、図工などの作品掲示とは違った性格をもっているわけです。
ある意味、「個性」というのはあまり問われることはありません。
もちろん、みんな同じ題材であり、同じ字がズラッと並ぶわけです。
「歩む」とか「湖」とかが、ずらっと掲示されます。
ですが、ここに「個性」という評価はほとんどなく、お手本にどれだけ近いかによってのみ評価されるのです。
要するに、うまいか下手かです。
これって、もしかしたら、テストを掲示しているのと同じなのかもしれません。
もちろん、テストは掲示しません。
松尾氏はこのように言っています。
「予め「正解」が定まっており、優劣が既にはっきりしているものを比較しやすく一年中並べている掲示物がいいはずがない。
例えば、この掲示物をぱっと見るだけで、色々なことがわかってしまう。
書字の上手なものはもちろんわかるが、それ以上に、お手本から大きく逸脱した字の方がよく目立つ。明らかに字形が整っていない、あるいは、全く違う字のようにも見えるもの。 名前もはっきり書いてあるから、誰がどういう字を書いたかがよくわかる。」
その子の能力のなさや下手さを、必要以上に晒してよいのかと考えてしまいます。
私には、これまで、このような考え方は全くありませんでした。
皆さんは、いかがお考えでしょうか。