「美談」などなくてもできる仕組み

あるTwitterの引用ツイートを見て、大いに共感しました。
元のTwitter はこのようなものです。

「自分が学校に着く6時半には、誰かの運動会の練習の準備を始めています。体育主任だけに負担がかからないようにしたいと、ボトムアップで声が上がった取り組みです。みんなのためにできることを、互いにできる組織。長続きしてほしい意識、習慣です。黙々とトンボがけをする新採教員の後ろ姿、輝いていました。」

このTwitterを引用したツイートは、このような早朝からの自主的な?準備を、「美談」にすることに、強烈な違和感を表明していました。

私も、大いに違和感を感じます。

早朝からやらなくてよい準備計画や分担が重要です。
また、こんな奉仕のような仕事をしなくてよい仕組みでなくてはなりません。

「美談」ではなく、「美談」などなくてもできる仕組みを作ることが、何より大切なことだと考えています。

ここらへん、学校というところは、すぐに「自己犠牲」「マンパワー」でこなしてしまおうとするのですが、そのような「体育会系思考」は手放さなくてはなりません。

もし、機会があったら、このツイートを取り上げて、職場の皆さんと話してみてほしいです。