「事前規制」の昭和2

今日も、もう少し、「事前規制と事後監視」のうちの「事前規制」という概念について、考えてみます。 私の理解が、まだまだ足りません。
「事前規制」とは、「コード」(振る舞い、型、規範)・「慣習」であって、世間での暗黙の合意事項です。
ちょっと考えたら、こんなことが出てきました。
・始業前のお茶は、女の先生がいれる ・飲み会のセットは、若手の男性教師がする
まだまだ、こんな慣習は残っていると思われます。
初任のとき、私はお茶を入れたことがありません。 いつも、同学年の女の先生が入れてくれました。 このとき、このような業務分担が決まっていないからといって、自分の分しかお茶をいれない女の先生がいたら、激烈に排斥されていたと思います。
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「事前規制」の昭和

昨日、私が紹介した産経新聞の「コンプライアンスの世界線」という記事は、成蹊大学教授の伊藤昌亮氏の意見が元になっています。 em-tr271.com/L90494/b581/126711
そこに登場する「事前規制と事後監視」という概念について、考えてみます。 まずは、「事前規制」について。
「事前規制」とは、ざっくり言って「慣習」です。暗黙の決め事・世間での暗黙の合意事項と言ってもよいです。 先の記事だと、コード(振る舞い、型、規範)です。
そのコード・慣習を守ることが、事前に求められていたわけです。 例えば、先の記事では、「自分の仕事が終わっていても上司より先には退社しない」が取り上げられていました。 開始時間についても、初任の先生や教育実習生には、始業30分前には学校にいることが求められていましたね。
男らしくあること。逆に、女らしくあることも、コードでした。
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昭和の自由? 令和の束縛?

昨年のユーキャン流行語大賞は「ふてほど」でした。「不適切にもほどがある」です。
私は、この番組をさわりしか見ていないので、ウェブの記事や投稿から漏れてくるような言葉から、この番組がねらったものは、「昭和への郷愁」を描いたものだと受け取りました。 令和の現在とのギャップに、多くの人が共感をもったのだと思います。
Npoのメンバーと話していると、学校の実践・活動において、以前あった大らかさが失われて、堅苦しさや窮屈さが浸透してきていると言う声を強く、そして、何度も出てきます。す。
確かに、私が退職した8年前においても、そのような気分・雰囲気は多分にありました。私にとって、本当に窮屈な雰囲気でした。(私は、どうも、自由・裁量の余地が、多分に必要なタイプなのだと思います。)
一方、昭和が本当に自由だったかというと、絶対にそんなことはないと思います。 昭和には、不自由さが非常にありました。そして、この令和の時代になって、自由になったことがたくさんあります。
でも、この窮屈な感じは何なんでしょうか。 締め付けられるような窮屈さは、どこから来るのでしょうか。
このことは、ずっと心に引っかかっていたことでありました。
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