「認知的不協和」のリアルに出合った!

コロナ禍になって、妻は、遅延が出ないように設計された音楽アプリを使って、オンラインでフルートの演奏を合わせる練習をしています。

ところが、それぞれのメンバーが使っているPCの性能や通信回線の具合によっては、雑音やかすかな遅延が生ずるのです。

ですから、支障が出たメンバーは、PCを買い替え、家のWIFIの設備を調整したり、最新の機器に替えたりしていました。

その日、初めて、その音楽アプリを使う人(Aさん)が練習が加わりました。
すると、それまで生じていなかった、ノイズが発生したのでした。

それまではうまく行っていたのに、Aさんが加わって支障が出たのですから、普通はAさんの機器や通信回線に原因があると考えますね。

しかし、Aさんはそう考えなかったのです。

「みんなはWINDOWSのパソコンで、ぼくはMACのパソコンだ。きっと、WINDOWSの側に支障があって、本当はもっと大きなノイズになるのに、ぼくのMACががんばって小さなノイズにしているのだ。」

こんな主張?をAさんは言ったのです。

この考え方について、皆さんはどう思いますか。

私は「おおっ、これが「認知的不協和」というやつか。」と思ったのでした。

MACを使う自分が加わったら支障が出た。
自分のパソコンのMACは優秀だ。

この二つの認知が不協和・矛盾を引き起こして、それをおさめるために、先の理屈?を持ち出したのだと思います。

とはいえ、自分もけっこう「認知的不協和」を埋める考え方をしていると思うのです。
皆さんも、きっとやっていると思いますよ。